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2009/03/13 (Fri)                  レニウムのハッピーバースデイ! 04
 イングリットは、町の中心部にある噴水広場までやっ来ていた。そして何やら、その噴水の水を飲む猫の、丸くなった背中に声を掛けている。
「おまえ、今日“だんじょうび”か?」
 気配を消していたイングリットの突然の声に驚いて、猫は後ろを振り返る。そして真剣すぎて恐ろしい目つきになったイングリットを見て慌てて逃げ出した。
「む、違うのか……」
 走り去っていく猫の後ろ姿を見つめながら、ぽつりと呟く。
 それからイングリットは、目に付くものに片っ端から声を掛けまくった。木の葉の上の芋虫や石の下ダンゴ虫に、通りかかった散歩中の犬やら噴水のてっぺんに立っている女神の像にまで。
「おまえ、今日“だんじょうび”か?」
 何度目かのその台詞は、両手でがっちりと身体を押さえつけられている鳩の頭上から注がれた。しかし鳩は当然のごとく、何も答えてはくれない。それどころか明らかに怯えてそわそわしてすらいる。何だか可哀想だ。
 しばらく捕らえた鳩をじっと観察していたイングリットだが、期待とは裏腹に一向に何も言おうとしないため、仕方なく解放してやった。鳩は手を離されるとすぐさま翼を上下に動かして、ばさばさと慌ただしく飛んでいった。抜け落ちた羽根がひらひらと舞う。
「………」
 空の彼方へ消えてゆく鳩を無言で見送ってから、イングリットは視線を地面に落としてため息をついた。と、その時――
「今日は鳩が見あたらんと思うたら……」
「?」
 背後から聞こえてきたしゃがれた老人の声に、イングリットは振り向いた。
「おまえさんの仕業だったか」
 そこにいたのは、頭の上にちょこんと深緑色の丸い帽子をのせた、小柄な老人だった。その身長は、イングリットの頭ひとつと半分ほど低いくらいだろうか。老人は白く長い眉毛の下に隠れるようにして存在する目を細めて、イングリットをにこにこ見つめている。
(なんだ、このヒゲジジイは)
 訝しげに眉をひそめるイングリットがそう思った通り、老人の口元は豊かな白髭に覆われていて見えない。
「ほっほ、素直な少年よ。思うていることが手に取るようにわかるぞ」
「な、なんだと!?
 読心術か、とイングリットは反射的に警戒して神経を研ぎすませた。
「そう身構えるでない。おまえさんの顔に書いてあろうが。『なんだ、この……イカしたヒゲジジイは』とな」
「なんか違うぞ! だいぶ違ってるぞ!!
 思わずツッコむと、老人は髭をさすりさすり笑った。
「はて、そのはずだがなあ」
「……むぅ……」
 なんだ、こいつは。本当に。刺客か何かか? いや、それにしては隙が多すぎる。イングリットがぐるぐると考えていると、老人は再び口を開いた。
「人間素直が一番。それにおまえさんはなかなか見る目もあるようだ。わしはイカすものな、若者にはまだまだ負けんわ」
 そしてそれだけ言い終わると、老人はくるりときびすを返して広場の端に設置されている木のベンチの方へと歩いていく。イングリットはその背中に向けて小さく言った。
「だから違うっての。それに……俺は」
(人間じゃないしな)
 そう思ったら、少し心に北風が吹いた気がした。なんだか寂しい。それがどうしてだかは、わからないけれど。
「ん?」
 物音がしてふと目を向けると、先ほどの老人がベンチに座って何かを組み立てている。木の棒が何本かくっついて、細長い三角形になっている、見たことのないものだ。座った老人よりも大きい。そしてよく見ると、ベンチの横には老人の荷物らしき四角い鞄も置いてある。とすると、わざわざあそこに荷物を置いてから、イングリット近づいて話しかけてきたということだ。
 物好きな老人だな、と思いながら、観察してみる。何をしているのか、気になって仕方がない。
(なんだ、アレ?)
 その視線に気がついた老人が、イングリットを手招きした。どうしようかと迷ったが、もし攻撃か何かを仕掛けてきたとしても負ける相手ではないと考え、自分の好奇心に従うことにした。
「これはイーゼルという」
 とことことイングリットがやってくると、待ちかねたように老人が言った。
「いーぜる?」
「ここにこうしてな……」
 言いながら、老人は鞄から一枚の紙を取り出してそのイーゼルに立てかける。横からイングリットがしげしげとその紙をのぞき込むが、ただの白い紙でしかない。
「何もかいてないから、面白くないぞ。真っ白だ」
 その言葉を聞いて、老人は軽快に笑った。
「ほっほ、これから描くのさ」
「これから?」
「これを見てみい」
 老人が四角い鞄を持ち上げ、膝の上にのせて開いた。そしてその中にあるものを見てイングリットは思わず声をあげる。
「わあっ」
 そこには色とりどりの絵の具がたくさん詰まっていた。赤、青、黄色に緑、名前を知らない色もある。
「すげえ!」
 目をきらきらさせているイングリットの横顔は、まるで無邪気な幼い子供そのものだった。
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